子育てについて…というわけではありませんが、支援を必要とする家庭について支援者間で話していると
「絶対、それだけはあり得ないって」
「普通はそんなことしないでしょう…」
という会話が出てくることはないでしょうか?
一般的には「絶対それだけはあり得ない」「普通は○○しない」というように、「普通」「絶対」「標準」といった共通概念を共有することができますが、それが支援の必要な子どもや家庭を対象にすると、支援の大きな落とし穴になることがあります。
つまり、この「絶対」「普通」という固定観念が支援の幅を大きく狭めてしまうのです!
そう、これは前回の「早々に評価をしない」という傾聴の重要ポイントの一つです。
今回はそんな、支援者の固定観念についてお話してみたいと思います。
それはないでしょう⁉
例えばの話をします。
保育園でとある心配な家庭の話をしていると、ある保育士から報告がありました。
「子どもがサイズが小さくなった服を着せられていて、荷物にもサイズが合わない服ばかりが入っている。」
この話を聞いて、あなたはどう思いますか?まず自分だったらどう返答するか、考えてみてください。
周りの保育士も
「子どもの体格に見合った服を買ってあげないなんて、子どもに関心がないのはおかしい!」
「自分たちだけいい思いをして、養育放棄だ!」
なんて話が出てくるかもしれません。
そして今後の支援を考えるために、専門家に相談しました。するとその専門家は
「親が服の買い方を知らないという可能性は?」
と相談に来た保育士に問いました。保育士は
「いやいや、それは絶対にありえないでしょう」
と返しました・・・本当に絶対にありえないのでしょうか?
様々な視点に立つ
あまり良い例が思い浮かばず、極端な例になってしまいましたが、親が子どもに見合った服を用意できないのには色々理由があるかもしれません。もちろん
「子どもにお金を使わず、自分たちのためだけに使っている」とか「親も子どもも服に関心がない」、「子どもを放置している」という考え方もあるかもしれません。
しかしこれらの理由は一つの側面からしか見ていません。今回の例の場合で言えば
「親には服を買う能力が当然備わっている」ということを大前提としています。つまり当然のこと、絶対のことと考えています。
しかし別の側面から見れば、専門家が言うように
「何らかの支障があり、親が子どもの服を変えない状況が起こっている」のかもしれません。
【できるのに親が服を買わない】➡【子どもが小さすぎる服を着ている】
【服の買い方がわからない】➡【親が困っている】➡【子どもが小さすぎる服を着ている】
となっている可能性も考えられるのです。
可能性は無限にある
この親がいつも行っていた子ども服のチェーン店が潰れてしまい、交通手段もない、ほかのお店もわからないという状況で、どこへ行けばいいのかわからなくなったかもしれません。
この親が電子機器に疎く、お店でモバイル会員証を求められたり、バーコード決済のチャージの仕方がわからず買えなくなっていたかもしれません。
一時的に精神状態が不調になって、人に会うことを避けていたかもしれません。
などなど、考え始めれば、単に「子どもが小さすぎる服を着ている」という出来事だけではなく、その背景には様々な可能性が眠っているわけです。「ふざけているのか?」と思うような可能性でも、それが事実としてわかるまでは、大切な選択肢の一つなのです。
それを「親がちゃんとしていないからだ」と思い込んで、親に服を買うように促すだけでは十分な支援といえないのです。
まずは考えられ得る様々な可能性に思いをめぐらした上で、現状を分析するための情報をしっかりと集める。そして、その家庭が困っているかもしれない出来事の選択肢を絞っていくことが効果的な支援へとつながっていくのではないでしょうか。
「絶対」は絶対にありえない
そんなこと普通はあり得ない、絶対にない
と支援者が思い込んだまま支援を続けても、なかなか子どもの状況は改善されません。
それだけではなく、間違った方向で親に働きかけ続けると、親はさらに困ってしまい「もうかかわりたくない」と関係を持つことができなくなってしまい、支援がそこで途切れてしまうということもあり得ます。
私にとっての普通・絶対は、ほかの人にとっても普通・絶対ではない
特に支援を必要とするような家庭では、多くの人にとっては普通・絶対ではないことが起こっているからこそ支援を必要としているのです。
このことを踏まえ、今支援がうまくいっていないケースを振り返ってみると、新たな支援の方法が見つかるかもしれません。
ぜひお試しください。
コメント