「学校行きたくない」たった一つの理由

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今日は実生活バージョンです。先日…いや、ここ数年、上の子どもたちが

「学校がおもしろくない。」

「学校に行きたくない。」

と毎日言うようになりました。実際、登校班の集合時間になっても家を出ず、遅れて一人で行ったり、仕事に余裕がある時は送っていくことも数回…それでも今のところ、何とか何とか休まずに毎日学校に入ってくれています。

はてさて、こんな時はどうすればいいのか?

何が楽しくないの?なんで行きたくないの?

もちろん子どもたちが「学校に行きたくない」と言えば、「どうして?」と理由を聞きます。すると返ってくるのは…

子「たのしくない。」「面倒くさい。」

親「何が楽しくないの?」「何が面倒くさいの?」

子「全部」「勉強」

親「勉強は嫌でも、他に楽しいことはないの?体育とか図工とか…」

とまぁ会話はこんな感じですが、結局子どもがモチベーションを取り戻したようには感じません(‘Д’)まぁ私たちも一緒ですが、仕事に行かないといけないのはわかっているけど、とりあえず愚痴を聞いてもらうことで何とか自分を押し出しているとも言えるのかもしれませんね💦

それでも何とか学校にいってくれれば安心するけど、一方で論理的に説き伏せていやいやながらも学校に行かせるのが本当に子どものためになるのかどうか、いつも悩みます;つД`)

自分にとっての学校はどうだっただろう?

みなさんにとって学校という場所はどんな存在でしたか?人それぞれだと思いますが、少なくとも私にとって学校は楽しい場所でした。プラスであれマイナスであれ、理由は人それぞれだと思いますが、今思い返すと自分がなぜ学校が楽しいと思えていたのか…

友達や友達と遊ぶ休み時間が楽しかったから

友達と何の話をしていたかと言うとはっきりとは覚えていませんが、ドラクエシリーズのゲームの話をしたり、毎週放送のアニメの話をしたり、年齢が上がってくると前日に放送されたドラマの話や流行りのアーティストの話をしたり、もちろん好きな子の話や部活の話などなど…本当に友達がよりどころだったんだなぁと思い返します。

でも我が子たちも、「友達と遊ぶのは楽しい」とよく遊びの話をしてくれます。同じようなのに、いったい何が違うのか…⁉

今と昔の学校は違うのか?

答えはもちろん違うのでしょうね💦っていうか、この写真は古すぎましたね(笑)

そりゃカリキュラムも変わっているだろうし、電子機器も普及していたり、子どもたちが話題にする内容も違うでしょう。

じゃぁ幼少期の私と今の我が子、それぞれの個性が違うから仕方がない?もちろんそれもそうでしょう。いったい、何が学校に行きたいか、行きたくないかを分けているのでしょうか?

なんとなぁくですけど、私的には情報に溢れかえった社会の状況や、それに影響を受けたコミュニケーションの在り方、もっと言えば人とのつながり方が昔とは変わってきているのではないかと感じています…この点は自分の中でもまだアバウトすぎるので、もう少し勉強して、近い内にもう少し掘り下げて考えて見たいと思います。

つまるところ、私の子育て中のテーマである、安心感の問題だと感じています。

学校は安心できるのか?

安心を感じるのは家だけではありません。私たち大人でも、安心がない=不安材料が多い場所や人のところへは行きたくないはずです。つまり、少なくとも我が子たちにとっての学校は

安心材料<不安材料

という構図になっているのではないかと仮説を立てました。というよりもこれは仕事からの経験則でもあります。これまで仕事の中で、不登校や学校でうまく適応できないたくさんの子どもたちに出会ってきました。なぜ学校に行かないのか、うまくやれないのか子どもに直接聞いたり、保護者や先生方から話を聞いていると、家での安心感が十分でなかったり、学校での安心感が十分でないと感じることがほとんどです。これもまたいつか、専門的にお話をするとして…我が子にとっての不安材料は一体何なのか…今のところイマイチつかめていません;つД`)

安心材料が少ないのかも?

一概に不安材料が多いから学校に行きにくいとは言い切れません。逆に不安材料もそんなに多くはないけど、安心材料もそんなに多くない可能性があります。大人ならこの可もなく不可もなくの状態で維持し続けることができるかもしれませんが、子どもにとっては不安もないけど安心もない状況は、とても不安な気持ちになることなのではないでしょうか。

そういう意味では、勉強でなくてもいいので、自分の中で何かやりがいを見つけてほしいなと我が子たちに対して思います。そうするとそれが支えとなり、またそこから拠り所となる友達との関係も築けるのではないでしょうか。

まとめ

「学校に行きたくない」という子どもの発言は何らかのサインである可能性があります

一方で、とりあえず愚痴ることによって自分を励ましているとも考えられます。

こうやって書きながら思いつきましたが、愚痴る相手というのは自分の安心できる相手だからこそ愚痴るということができるのではないか…つまり子どもたちは愚痴を聞いてくれるあんしんできる存在として私を選び、聞いてもらうことでエネルギー充電をして学校へ自分を押し出そうとしているのかもしれません!

子どもたちにとって学校は頑張る場なので、もちろん心のエネルギーを消費するでしょうが、それを安心できるものに変えていくというのはとても時間と労力がかかると思うので、家を出るまでに十分に安心の充電ができるよう励ましてあげることが大切なのだと、今気づきました!皆さんありがとうございます( *´艸`)

もしみなさんのお子様も「学校に行きたくない」と言い出したら、この安心感の視点で考えて見てもいいのかもしれませんね!

後記

今回は今考えていることを、まさにリアルタイムで考えながら発信してみました!なので、自己完結しちゃったけど、何か答えを求めて見ていただく内容ではないかもしれません。

文中に、たくさん、専門家としてもう少し掘り下げて語れるところがあったと思うので、また今後、やっていければと思います。ありがとうございました。

それでは、ごきげんよ~

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